美咲が好きだ。
美咲以外には興味がなくて美咲以外はいらなくて、ただ美咲がいればそれでよかった。
でも美咲はそうじゃなかった。
美咲は吠舞羅に入って俺を見なくなった。
離れていく距離が辛くて、美咲が俺に気づかないのが辛くて。
前まではただ美咲が視界にいるだけで幸せだったのに、今は辛い。
美咲が俺以外の人間に笑いかけているのを見るのが辛い。苦しい。
俺はこんなにも想ってるのに美咲は気づかない。

多分俺はもう限界だったんだ。
俺を見ない美咲を見ているのが。
だからあの日、隣に座った彼を追い払うこともできなくて、伸ばされた手が頭を撫でるのを振り払えなくて。
むしろじんわり涙がでてきた目を隠すために、机に突っ伏した俺の耳元で囁いた彼の言葉が頭から離れない。
顔をあげた先にあった見たこともないような優しい眼差しが忘れられない。

「俺を見て。伏見」

ゆっくりと近づく彼ーー十束多々良の顔を、俺は避けることができなかった。



【君に愛され方を教えてあげる】




草薙から留守番を頼まれ、八田達が夕御飯を食べにいったことにより2人きりとなった十束と伏見に一つの秘密ができてから早一週間。
十束は一つ分席が空いた先にいる伏見の横顔を眺めていた。
人の気配に敏感な彼が十束の視線に気づいてないはずがない。つまりこれは明らかな拒絶なのだが、十束は気にしない。
ちびちびと草薙が入れたコーヒーを飲む伏見がかわいくてたまらない。
自然と顔が緩むと、カウンター先にいた草薙が溜息を零した。
「十束。そのへんにしとき」
「えー、なんで?別に変なことしてないよ?」
「伏見にとっては十分変。というか、迷惑や」
距離的に2人の会話は伏見に丸聞こえなのだが、それでも伏見は黙秘を続けている。
下手に混ざれば十束がこれ幸いとばかりに絡んでくることがわかっているからである。
「どこがどう迷惑なのさ?俺はただ伏見をガン見してるだけなのに」
「それやそれ!つかお前自覚あるやないか!!」
「俺、帰ります」
コーヒーを飲み終わった伏見は席をたつ。
巻き込まれては堪らない。
そんな気持ちで扉へ向かうが、それは無駄な抵抗だった。
「じゃあ俺も行くね!またね、草薙さん」
「あ、ちょい待ち!行くって何処、」
草薙の言葉を最後まで聞かず、十束はバーを出て行った。
伏見の手をしっかりと握って。



「…どういうつもりですか?」
「何が?」
「この手のことに決まってるでしょ。つか、なんで俺はあんたに引っ張られてるんですか?俺帰りたいんですけど」
バーを出る間際に十束に手を握られ一緒に出てきたと思えば、そのまま連れまわされている。
草薙にもばっちり見られていたはずだが、店をそのままにする訳にもいかず追いかけてこれないのは明白である。
食えないこの人はおそらくそこまで読んで、あのタイミングで店を後にしたのだ。
むしろ伏見が帰ろうとするのを待っていたのかもしれない。
隣で笑顔を絶やさない十束を睨んでいると、その顔が伏見のほうに向いた。
「だってデートは手を繋ぐものでしょ?」
「誰と誰がデートしてることになってるんすか?」
「俺と伏見が」
頭湧いてんのか。口には出さず(仮にも幹部に言える言葉ではない)視線で訴えると、十束は体ごと伏見に向き合った。
「だってこの間言ったし」
「…何がですか?」
「覚えてるでしょ?伏見」
「………………」
十束の言う通りだ。
伏見は彼が何を言いたいのかわかっている。
あの時の、2人だけの秘密ができてしまった日のことだ。
「キスまでさせてくれたのにー」
「あの時は酔ってただけです」
「お酒なんて飲んでないよね?」
「……眠かったんです」
「しっかり目開いてたよ。ちょっと涙滲んでたけど」
「ッ……気のせいです」
痛いところを突かれて吐き捨てるように言った伏見に十束は優しく微笑む。
その顔は慈愛に満ちていて何やら落ち着かない。だってこんな眼差しは知らない。受けたことがないのだから。
「伏見が忘れたって言うなら俺は何度でも言うよ」
「……正直、意味わかんないです」
「何が?」
「全部ですよ。あの言葉も、キスも、あんたが何考えてんのか全然わからない」
「そのままの意味だよ。伏見が難しく考えすぎなんだって」
「そのままって…」
それが分からないから聞いているのに。
埒が明かない状態に伏見が大きな溜息をつくと、十束はあの日と同じように優しく頭を撫でた。
「ッ…あの、」
「伏見は八田が好きなんだよね?」
やめて下さい、と言おうとした言葉を遮られ問われた内容に息が詰まる。沈黙する伏見の頭を撫でながら十束は続ける。
「八田しかいらなくて八田にしか興味がなくて。でもそれは、淋しいよ」
「……なんで、」
「だって八田は伏見を見ていないし、好きじゃない」
「ッ………」
やめてくれ。心の中で必死に叫ぶ。
そんなことは百も承知なのだ。
美咲は俺を見ない。俺の想いは美咲には届かない。
でも、それでも俺は。

「それでも八田が好き?」
「な、んなんすか…、何が言いたいんですか?そんなの、俺の勝手でしょ!!」
憤る気持ちが抑えきれずに撫でられていた手を跳ね除けながら叫ぶと、十束の泣きそうな顔が伏見の目に映った。
「そうだね。でも俺はそんな伏見をそのままにしておけない。伏見が傷つくのをただ見てることなんてできないんだ」
まるで自分が痛いみたいな顔。伏見を見つめる十束の目からはいつ涙が溢れてもおかしくないほどに滲んでいた。
いつもみんなに優しく能天気に笑う彼とは想像もつかないそれに伏見は目が離せなくなる。
「だから俺が伏見に教えてあげる。愛されることの幸せを」
あの日、あの時の言葉と寸分違わない言葉は紡がれる。

「俺が君を愛してあげる」

体を包む腕の暖かさに、伏見の手は無意識に十束の背中に回っていた。


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